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成帝 (東晋)[せいてい]
成帝(せいてい)は、東晋の第3代皇帝。 == 生涯 == 父の明帝が28歳で崩御したことにより幼くして即位し、生母の太后(庾文君)が実際の政務を執った。太后の死後は王導と庾亮(庾太后の兄)が引き続き政務を執った。 咸和4年(329年)に蘇峻の反乱が起き、成帝らは一時捕らえられて石頭城に移されたが、同年に郗鑒・陶侃らに乱が鎮圧されて再び建康に戻った。北方に対しても何度も出兵したが、後趙の石虎の軍に阻まれて勢力の拡大は果たせなかった。また、豪族らの山川の私有化に対抗するため、咸康2年(336年)にこれを禁じた。咸康7年(341年)には土断により、東晋建国時に北から移ってきた貴族達を戸籍に編入した。 咸康8年(342年)に22歳の若さで崩御した。息子達は幼かったため、弟の司馬岳が即位した。
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